写真のこと

絵は褒めてもらえなかった

絵は褒めてもらえなかった

絵を描くのが好きだった。もちろんマンガだ。小さな頃から、ロボットやマンガのキャラクターを描いては楽しんでいた。しかしこれがいわゆる「絵」となるとからっきしだった。特に図画工作の時間に描く水彩画。これについては、毎度先生にこっぴどくダメ出しをされたものだった。
「下書きはいいのに、色を塗ると全然ダメ。」
当時の先生がよくこう言っていたのを思い出す。
今振り返ると、確かにそこにあまり興味なかったかもなぁと思う。
構図を決めるにあたって、そこになにがあるのか、どんなものがあってどんな感じなのか、等ということを書いていくことはそれなりに楽しかったが、そこに色を付ける段になると、別に何色だろうとかまわないような、そんな気になったものだ。
だから面倒くさくなる。

で、例えば風景画などの場合、同じ色をちょっと離れた家の屋根に流用する。するとすぐにバレる。
「こっちの家の屋根の赤と、こっちの家の屋根の赤は、よく見たら違う赤のはずでしょ。よく見なさい。」
今思えばそれは当然で、光の当たり具合によって同じ色でも大きく違うのは当たり前。しかし、そんなことなんて微塵も考えていない子供の自分は、そもそも赤くない屋根であっても、とっとと終わらせるために色の流用をしているのだから、ちゃんと描けているはずがない。
そう言えば、下野新聞社主催のコンクールに出す作品を描けと言われていた時も、半泣きで修正したっけ。
この時は確か、運動会で綱引きをしている絵を描けと言われたのだが、土の色をかなり濃いめに塗ったら先生大激怒。水のスポンジで、その色の大半を落とし、もっと淡い色に乗せ替えるように指示された。
「よく見なさい。そんな色してないでしょ。」
それが終わらなければ帰らせてもらえないから、もうまさしく半泣きで作業する私の傍らで、先生が鬼のような形相で言っていたのも思い出す。
実はその絵、なんと金賞を受賞したのだから、先生の指導はまさしく正しかったんだろうなぁと思うが、今振り返ると言いたかったことが分かる。
その絵は、綱引きの様子を俯瞰で捉え、しかも綱をピンと一直線に張った状態ではなく、画用紙の右辺から上辺、そして左辺にかけて、弧を描くように置き、そこに群がる友達の様子を数多く描いたものだった。つまり中心から下側には、大きくグランドの土だけのエリアが広がることになる。主題は当然綱に群がっている友達なのだから、それが生き生きと浮かび上がっていなければならない。しかし、グランドの土を濃い色で塗ってしまうと、画面全体が暗く沈み、土の色の方が強く全体に圧力を増して主題を殺してしまう...ということになる...ということを言いたかったんだろうなぁ。
実は写真も同じかなぁと思う。
なにをどのように撮りたくてシャッターを切ろうと思ったのかが意外と重要で、その気持ちの強い写真は、説明無しでもなにかがちゃんと伝わったりするように思う。まぁ厳密には、サッカーのボールルッキングのように、主題にばかり目がいってもいいことばかりではないのは事実だし、その主題を演出するための周囲への気配りもかなり重要ではあるのだが、それでも、自分がなにを撮りたいのかということに対する意識って重要だよなぁと思ってみたり。
そんなこんなで、シャッターを切る時ふと、あの先生の怖い顔を思い出すこともある、というお話し。

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